<目次>
はじめに
第1章 産業構造の変化と政治の変化
第2章 無党派層の出現と政党システム
第3章 情報化社会における政治参加の方法
第4章 選挙によらない政治参加の可能性
まえがき
徳島県の吉野川河口堰問題は、国の公共事業では全国初となった「住民投票」で可動堰化計画に反対する票が過半数を超え、住民側からこの事業計画に待ったをかけたケースである。国が行う事業や、国が助成し地方自治体の県、市が行う公共事業のあり方や進め方に、住民による反対運動や市民運動の影響が、やがて市長選まで巻き込み選挙のあとついに住民投票を市の条例として制定するまでに至った。1999年6月に徳島市議会で住民投票条例が可決し、2000年1月の住民投票の結果、55%の投票率で計画反対が91.6%を占めた。地元の徳島新聞はその後の報道で、「吉野川第十堰(ぜき)可動堰化計画の是非を問う徳島市の住民投票から23日で半年を迎えた。計画反対が圧倒的多数を占めた投票結果の波紋は大きく、事業主体の建設省や県は、現計画にこだわらない、との柔軟姿勢に転換」(徳島新聞、2000年7月23日)と当時を詳報している。そして2002年2月には、この問題を契機として徳島市の市民を中心とするNPO法人が発足するまでに至っている。このように住民運動が、当時の建設省による吉野川工事実施基本計画のような国の公共事業や政策決定に、多大なる影響を与えていることを示す例である。
また、長野県では2000年に市民派の田中康夫知事が誕生した。新知事は就任後に県議会で脱ダム宣言を発表し県議会を驚かせたが、地元の信濃毎日新聞では、「本会議で、田中知事は2001年度当初予算案の概要などの提案説明を行い、脱ダム宣言について、全国規模での幅広いご支援とご参加を得て、必ずや『長野モデル』として確立するだろうと強調、理解を求めた。また、今までにも増して数多くの現場を視察し、数多くの職員や県民と議論を深める県知事でありたい」(信濃毎日新聞、2001年10月18日)とその抱負を報道している。さらに知事はダムの欠点として、「看過し得ぬ負荷を地球環境に与える。さらにいずれは造り替えねばならず、おびただしい分量の堆(たい)砂を数十億円も用いて処理する事態が生じるとし、河川改修費がダム建設より多額になろうとも、百年、二百年先の子孫に残す資産として河川、湖沼の価値を重視すべきだ」(同上の信濃毎日新聞の記事から)と述べたが、これはすでに計画が具体化された段階での発言だった。これまではダム工事といえば国の大型公共事業として、建設省を挙げての公共事業の推進により、県や地元自治体や大手ゼネコン、地元土建業界などを挙げての地域振興事業としての役割があり、いまもって国政選挙、地方選挙における有力な争点となっている。そんな中で、長野県の田中新県政はこうした中央政治、地方政治の行政の政策決定システムに対する問題提議であり、その後ダム建設は一時中止されている。
さらに、今中央政界では、外務省が主管するアフガニスタン復興支援会議のNGO参加問題をめぐって、野党は小泉政権に揺さぶりをかけている。朝日新聞によると、「小泉純一郎首相は29日夜、アフガニスタン復興支援国際会議へのNGO(非政府組織)排除問題をめぐる国会の混乱を受け、対立している田中真紀子外相と野上義二外務事務次官の両者を更迭することを決めた。2001年度第2次補正予算案成立の見通しが立たないことから、事態打開には両者が責任をとる形しかないと決意した」(朝日新聞、2002年1月30日)と報道している。続けて「NGO排除への圧力がとりざたされた鈴木宗男衆院議院運営委員長も辞任の意向を固めた。高支持率が続く小泉内閣人気の一翼を担ってきた外相の更迭は、政権の構造の大きな変更を意味するもので、今後の政権運営に重大な影響を与えるのは必至だ」(同上の朝日新聞)ということで、このことを契機に政治が一挙に流動化し始めた。事の発端がNGOの国際会議参加問題であるということが象徴するように、非政府組織がいかに今日の政治システムの中で重要な地位を占め、一方日本の外交はNGOを排除するような外交後進国なのかといった国際世論のプレシャーが、さらにNGOの政治への影響力の強さを浮き彫りにしている。ここでも政党、族議員、官僚がこれまで行ってきた政策決定のあり方や行政行為の背後に、行政庁の利害利権を巡った癒着構造が横たわっていることを日々明るみに出そうとしている。その契機がNGOであったというのも、今後の政治や政策のあり方への影響を暗示している。
これらの問題は、日本の政治システムの特徴といわれる数々の要素を、いま大きく変化させつつある象徴的なできごとでもある。従来の中央官庁主導型の官僚政治、護送船団方式の公共事業、それらを支える長期単独政権、利益誘導型の選挙運動など、それぞれが日本の政治文化を背景に、第2次大戦後の戦後復興から、高度成長経済を経て、日本経済のバブル崩壊までその姿をあからさまには現さずに続いてきた。そして国民の多くは選挙を政治参加のパイプとして、こうした経済優先の利益誘導型の政治、政策をよしとする意思表示をしてきた。しかしそのパイプも投票率の慢性的低下傾向、支持政党なし層の増化、選挙に行かない層の増加などは、選挙が国民意思を十分には反映することができず、選挙による政治参加の有効性が少しずつ薄れてきていることを示しているといえる。では、国民はどのような方法で有効な政治参加を果たせばよいのであろうか。政党や、政党を支持する基盤や、また選挙運動がどのように変化してきたかを辿りながら、一方、今日の日本における政治経済の状況を、高度に情報化しつつある政治社会システムととらえ、選挙以外で国民の政治参加の形態や政治参加の有効な方法が果たしてあるのかを考察し、国民の政治参加の新たなチャンネルを抽出し展望するのが本論文の目的である。
第1章 産業構造の変化と政治の変化
1.重化学工業から情報化社会への変化
世界的規模で展開した産業の工業化は、第2次世界大戦後の日本において、戦後の復興と先進国に追いつき追い越すことを目標とし、産業の重化学工業化や技術革新をその原動力として高度成長経済を果たし、今日に至るまで産業や社会もめまぐるしく変化した。その過程で国民の生活や社会の変化に与えたイパクトは計り知れないものがあった。そして、その影響が国民生活に直結する政治システムのあり方や政党の役割と機能は、産業や経済の発展過程と密接な関係にあり、戦後日本の急激な工業化や都市化による影響は、政党の支持基盤や政党再編の主要な要因となっていった。
〈図表1〉が示すように地方から大都市への人口移動は、1956年ごろで移動人口750万人から急激に増加し、1970年のピーク時では1250万人にのぼり、比率にして約1.6倍に増えている。また産業構造の変化にともなう各産業別就業者の変化は、〈図表2〉の産業別就業者の割合の推移が示すように1947年を境に農林水産業などの第1次産業は減少に転じ、製造業などの第2次産業や、流通・サービス業などの第3次産業は増加に転じている。1947年には約54%だった第1次産業は、1995年には約6%まで減少し、一方第3次産業は1947年には23%だったが、1995年には約62%まで増加している。第1次と第3次産業は1957年に約37%のところで交差し、その後は産業別人口に占める割合が逆転している。また第2次産業も1970年から、それまでの増加から緩やかな減少に転じ、約32%の割合に減少している。
図表 1 首都圏への人口移動

資料:国立社会保障・人口問題研究所編「人口の動向」から作成
このような全国の農村、地方都市から大都への移動や、産業別就業者の他産業への移動は、 当然ながら各政党にとってその選挙区の有権者が移動することであり、また産業別就業者が他の異なる産業へ移動するということは、企業の労働組合や産業別組合の労働人口が移動することでもある。こうした変化は、この頃の主な政党である自民党と、当時の社会党を中心とするいわゆる「55年体制」と同時に進行し、おおむね、農村、地方都市や第1次産業従事者は自民党の支持基盤であり、大都市、第2次産業の労働者は社会党の支持基盤でもあった。自民党は単一政党であったとはいえ1955年に吉田茂系の自由党と鳩山一郎系の民主党が合流してできたもので、その後も政治活動の実体は派閥によって成り立つ派閥の集合体であった。そして衆議院のかつての地方区は中選挙区であり、各派閥の候補者ごとに農村や地域性の強い共同体社会を基盤にした個人後援会を作り、それぞれがしのぎを削る選挙運動を特徴とした。
図表 2 産業別就業者の割合

資料:国勢調査による資料「日本の100年・第4版」国勢社から(2000年)
地方の農業、自営業、商店主などの有権者はこうした後援会に組織され自民党の支持基盤を形成し、また中央では経済4団体体制 をバックとした。一方、社会党は日本の各地に散在する鉄鋼、炭鉱、繊維、機械など旧財閥系の大手企業の労働組合や旧国鉄、旧電信電話公社、旧全逓、自治体などの官公労や、戦後の高度成長経済とともに活発化した電気産業、石油化学工業、自動車工業などの産業別組合も加わり、その後に発足した総評 を母体とし自社の2政党時代が長らく続くこととなった。
〈図表2〉に示すように、産業構造の第1次から第3次産業への変化と大都市集中化は、コンピュータの開発普及にともない、重厚長大から軽薄短小へ産業の重心を移し、それまでの基幹産業は徐々に電気産業、電子機器、情報産業、金融、証券、保険、卸売・小売業、流通産業、サービス業などへ多様に展開し、労働力の移動はますます促進されていった。労働者の層もブルーカラーからホワイトカラーへ移行し、女性の就業人口も増加するなど、専門学校、大学進学率の増加を背景に、産業構造も徐々に第3次産業の比重を高めながら情報社会化していった。 こうしたコンピュータの発達による重化学工業から情報化社会への急速な変化は、第2次産業から第3次産業へと産業構造の変化が、長らく続いた55年体制の安定期から、与党である自民党の単独政権を揺るがしはじめ、野党も社会党から分裂して民社党ができたり、また新興の宗教団体を母体とする公明党が発足するなど多党化時代に入った。
2.情報化社会化と政党の役割変化
第3次産業の中でもサービス業は、消費者ニーズの多様化にともない拡大しており、特に1980年代からは物質的にも満たされたと感じ始めた人々が、より高い付加価値を求めるようになった。またこうしたニーズの変化に対し、コンピュータの発達が多くの新しいサービスの提供を可能にしてきた。
図表 3 サービス業、卸・小売業、製造業の就業者数

資料:経済企画庁「国民経済計算年表」から(2000年版)
〈図3〉が示すように、就業者総数に占めるサービス業従事者の割合は、1969年に卸売・小売業と逆転し、また1985年には製造業従事者とも逆転している。国内総生産生産に占める割合もついに1997年には第3次産業が全産業の30%を超えてしまった。
また〈図表4〉に示す第3次産業のうちサービス業の内訳を詳細にみると、コンピュータを利用した情報関連サービス業の成長が著しいことを示している。
図表 4 サービス業の事業所数

資料:総理府統計局「1999年事業所・企業統計調査」より作成
こうした人々は選挙において、自民党、社会党を支えた農村、地域社会や大企業組織の労働組合などに影響されにくい、違った投票行動をとるようになってきた。また情報化社会への変化は、われわれの仕事や生活の基盤や様態をも変化させ、当然政治に対するわれわれの意識や関与も大きく影響されることとなっている。本来政党には政治、経済、社会の変化に対応した政策形成と、こうした変化にともなう有効でタイムリーな政策決定による国民の利益表出と利益集約という重要な役割がありながら、必ずしもその変化に対応していったとはいい難い。
安定過半数によって支えられていた55年体制は、ロッキード事件に倒れた田中内閣のあと、1976年の福田、大平内閣の頃から、野党勢力と議席数が拮抗する移行期を迎える。自民党は議員数を少しずつ減らしながらも、三角大福の派閥の抗争を自民党の総裁選挙の活力にうまく転化し、派閥の領袖が政策を争うという自民党内での政権交代で、鈴木、中曽根、竹下、海部、宮沢と自民党政権を繋いでいく。有権者である国民にとっては、産業構造の変化にともなう選挙における多様な意思表示も、内閣総理大臣を実質上選出する政権与党である自民党の総裁選挙や、衆議院議員、参議院議員選挙のタイミングが同時選挙で巧妙に計られ、ニーズが多様化する選挙民の意識を野党勢力よりはうまく集約されてきたといえる。
しかし、一方でかつてのロッキード事件に比べその影響と規模の大きさをはるかに凌ぐといえるほどの、リクルート事件をはじめ数々の政治スキャンダルが絶えず、また大型間接税の導入を巡ってそのつど揺れる政権は、派閥の離合集散となってやがて宮沢政権を最後に長らく続いた自民党単独政権は終わりを告げた。また野党勢力も、社会党から民社党が分党するなどしたが、産業構造の変化に対応した十分な政策を国民に提供しきれないまま、自民党の分裂がもたらした1993年の総選挙の後、8党の連立による細川内閣の誕生に至った。
このように1976年から1993年まで17年間の55年体制は、政党政治の一定の役割を国民の前に示した過程であったが、徐々に経済社会の構造変化に対応し切れない限界を示す過程でもあった。そもそも政党は、「法によって設けられる公的機関ではない。(中略)ところが他方政党が国会という公的機関を事実上運営し、与党になれば内閣を構成して、法律・予算の決定・提出や法の執行という最高の公的役割を果たす」 のであって、自民党の派閥政治はこうした役割に応えられていただろうか。情報化社会への変化は、われわれの仕事や生活の基盤や様態や意識も変化させ、当然政治に対するわれわれの意識や政治への関与も大きく変化している。政党の役割は政治、経済、社会の変化に対応した政策形成の機能と、こうした変化にともなう政策決定による利益表出と利益集約という重要な役割があるが、果たして日本の政党は産業経済社会の情報化の変化にどれだけ応えられていただろうか。次章ではこの点を無党派層の増加と対比しながら考察してみよう。
第2章 無党派層の出現と政党システム
1.無党派層と支持なし層の出現
戦後日本の高度成長経済をもたらした重化学工業化は、同時に労働力の農村から都市集中という急速な都市化を招き、日本の全国に人口の過疎と過密を生んだ。かつての大家族から核家族へと国民の生活環境も大きく変化し、仕事やくらしに対する意識も変化していった。日本の政党システムはすでにみた55年体制は終焉し、多党化の時代を迎えたが、社会の情報化にともない有権者の意識が多様化する中で、無党派層や支持政党なし層が増える傾向をみせ、政党の政策形成や選挙における投票率などにも大きく影響してきた。
〈図表5〉は自民党、社会党、民社党、公明党、共産党など各政党の支持率の変遷と無党派層の拡大を示したグラフである。無党派層は、1969年社会党と支持率17%のところで逆転し、1974年には自民党と支持率25%のところで逆転している。以後自民党は支持率が徐々に低下しながらもしながらも、1973年までは30%前後上下していることを示している。
図表 5 無党派層の拡大

資料:時事通信社調べ、「現代の政党と選挙」有斐閣から
また社会党の長期低落傾向は、1989年に宇野政権がリクルート事件、消費税、米の自由化をめぐる農政問題の「3点セット」を争点とする参議院委員選挙で与野党逆転したとき以外は、1993年に約7%支持率まで落ちている。一方、無党派層は1973年の約23%が、その後20年経った1993年にはおよそ2倍の45%超えるほどの増加ぶりである。こうした自民党、社会党の長期低落傾向の背景を、「高度経済成長によりわが国が農村部から都市部へ比重を次第に移行していったにもかかわらず、自民党の政策対応が常に農村中心であったために、自民党の得票基盤の中心は農村部から離れることがなかった。いいかえると、自民党が終始農村部に基盤を置き続ける中で、わが国全体が農村から都市に比重を移動して自民党の得票基盤を削る形になったために、自民党の得票率が低下し続けていった」 と[地域特性]要因を用いて分析している。また社会党についても「都市部の支持者に期待に応えることができず、新興政党に都市部有権者を奪われることになり、結果として都市型政党から農村型政党に移行していった」 と同様に分析している。
このような現象を証明するかのように、無党派層の存在を明確に示したのは1993年の総選挙であった。自民党の議席数は過半数を割ってしまい、また社会党は過去最低の70議席しかとれないという厳しい結果であった。一方、自社に対して、日本新党、新党さきがけ、新世党の3新党の躍進ぶりが目立った。こうした結果に至るには、無党派層が実際の投票のときには、明らかに3新党に流れたと考えられる。この背景を「80年後半から続いた一連の政治腐敗に対する有権者の不満の高まりと政治改革への期待があり、弱い自民党の支持者と有権者の3分の1を占めた支持なし層のかなりの部分が、従来のような社会党でなく、よりイデオロギー的に穏健な新党や棄権へと流れた」 と分析している。
このように無党派層として括られる有権者層はその実体は十分には解明されてはないが、 〈図表4〉で示したように、産業構造の変化にともなう第3次産業の新しい職域や職能、業態から生まれたホワイトカラー、自由業、カタカナ業などに従事する有権者たちが、55年体制の自・社の支持基盤を崩しながら少しずつ増加してきた無党派層であると考えられる。8党の連合による細川内閣発足以来、この無党派層の動向は、今日に至るまで日本の選挙に大きい影響をもち、もはや連立でしか維持できない自民党政権の連立パートナー選びは、中道政党の動向を含めて日本の政党政治を一層流動化させている。
2.政党基盤の変化と政党改革
その後の日本の政党は政治改革とからみながらも政界再編、新党結成が相次ぐなど戦後の政党システムの再編成という大きい波に洗われた。こうした変化は産業構造の変化にともなう政党の支持基盤の変化と密接に関連しているといえよう。そしてかつての労働組合、地域社会、後援会組織などをバックとした政党が、経済社会の情報化に対応した政党改革と政策形成に対しどのように変化を遂げている。また遂げつつあるのか。このセクションでは政党がこうした改革の努力をどのように行い、どのように支持基盤を確保していったかを分析してみよう。
戦後政治の転換点ともいえる1993年の反自民8党連合 による細川内閣の誕生は、必ずしもそれまでの野党勢力による政権奪取の努力や政策の成果とはいえなかったところがある。自民党内の派閥抗争や度重なる政界スキャンダルが続く中で、最大派閥の竹下派は小沢一郎や若手議員等の離党による分裂によって自ら自民党議員の議席を減らし、野党から出された宮沢内閣不信任案が可決され、解散総選挙を迎えるという極めてポジティブな理由によるものだった。それはせっかくの新政権も反自民、反政治腐敗という結びつきだったため、国民福祉税などの新たな政策を打ち出したところで早くも8党の足並みが乱れ、たったの3年で分裂してしまった。結局は細川政権の目立つ政策は政党助成金関連法と小選挙区比例代表制並立制の導入だけというものだった。
一方、日本の取り巻く国際情勢はすでにグローバル化の道を進んでおり、外交、国政経済、規制緩和など経済、国民生活に密接した政策を必要としていたにもかかわらず、政府も政党もその余裕はなく、せいぜい政治腐敗や金権選挙のいわば政治家たち自身が招いた後始末に対応するのがやっとというのが新政権の実体だったといえよう。さらに細川内閣の武村大蔵大臣が農協の不良債権処理に端を発する住専問題への対策が、緊急の課題だと訴えていたにもかかわらず、国民はもちろん政治家さえもその本当の実態を、行政官庁の責任ある官僚から十分な情報提供を受けてさえいなかった。その後の日本の経済も国の財政も、金融、証券、保険などの市場全般に内在する不良債権問題にずっと足を引っ張られることとなり、とうとう山一證券が自主廃業に追い込まれてしまうなど、この頃の日本経済は「失われた10年」 と称されるまでになってしまった。
そして日本の政治のさらなる負のベクトルは、政治改革のキーマンであった小沢一郎の豪腕ぶりが社会党を中心に連合政権内での反発を招き、また自民党からは党分裂の張本人としての反小沢勢力が結びついたことだった。短命の羽田内閣のあとに、国民も驚く社会党の村山党首を首相とする自社連立政権の誕生であった。この時点で55年体制から延々と続いたかつての与野党の政策争点の数々は宙に舞い、ついに社会党は1994年臨時党大会で、自衛隊の合憲、日米安保条約の堅持、日の丸・君が代の容認というこれまでの政策から180度に近い政策転換を短時間に行ってしまったのである。社会党は首相を担ぐ政党ではあったが、その内実は党の理念、政策目標と支持基盤を同時に失うという液状化へと向かっていた。結局その後は自民党が1996年1月、橋本龍太郎を首相とし、再び政権に返り咲くこととなった。また一方では、同年10月の総選挙を前に、野党はさきがけの鳩山邦夫と管直人、新進党の鳩山邦夫、社民党の一部の議員とで民主党を結成するという日本の政党史上歴史的な転換点を迎えることとなった。
このような動きは、政党が積極的に改革を目指して動いたのではなく、「政党再編は社会における利害構造の変化と有権者における政党支持枠組みの変化に伴って生ずるものであり、単に政治家レベルにおける離合集散の過程である政界再編とは異なるものである。こうした点から見て、1990年代の日本において生じたのは政党再編ではなく永田町レベルの政界再編であったと言うべきであろう」 と指摘されるに留まり、明確な政策の提示や、早急な政治課題である国際政治、国民経済、国民生活の長期的展望に基づいた改革を行ったとは決していえない。ましてや今現在に至るまで、自民党と民主党はお互いの政策の違いさえも国民には十分に示すことすらできていないといえる。2000年に発足した自保公連立による小泉政権の財政再建策をめぐって、鳩山党首がしばし小泉改革にエールを送り、そのつど民主党内部でごたごたするなど、いまだ政党改革なるものは少しも進捗していない。したがって政党の支持基盤は無党派層に流出したものを除いて、基本的には55年体制のそれとなんら変わらない、自民党は地方、業界団体、企業を中心とする後援会選挙に依存し、また民主党は労働者の団体である連合を主たる支持基盤としていることを、はからずもその後の選挙でも示している。そしてますます各政党がカバーする支持基盤の規模を小さくしながら、一方で支持政党なしの層を年々増加させている。
第3章 情報化社会における政治参加の方法
1.選挙制度の改革と政治参加
では、日本の政治システムの変化で重要なポイントになる選挙制度改革は、はたして日本の産業構造の変化と情報化社会への変化に対応すべく、有効なシステムとなり得ているか。そして、小選挙区比例代表並立制に問題があるとしたらどういう点なのか。国民の政治参加のレベルと政治参加の機会をこの制度がどれだけ保障できるのか。また、小選挙区比例代表制のほかに有効な選挙システムはあるのかなど。前章で見た無党派層の動向と並行して、これらの点をこの章で検討してみたい。
「90年代以降の国政選挙は選挙ごとに結果が振幅したが、それは93年には有権者の3分の1を占め、また相次ぐ政界再編や政党不信から95年には5割を超えたといわれるる無党派層の動向に大きな影響を受けている」 のであるが、その後政治改革の目玉として1994年政治改革関連4法の一つである改正公職選挙法によって登場した小選挙区比例代表並立制による1996年の総選挙の結果はどうであったであろうか。そもそも小選挙区制は、政党中心であり政権交代能力のある2大政党制を目指したもので、この選挙で自民党と民主党合計で総議席数の75%を占めた。しかし民主党結成をめぐって、一部の議員が離党したさきがけと社民党は惨敗し、選挙の結果を受けて閣外強力に転じた。自民党は新進党の離党者や保守系無所属議員を受け入れ、選挙後には過半数に回復した。その後は野党側である新進党が97年に分裂したのを契機に、各政党の離合集散は〈図表6〉のとおりである。その後、1998年の参議院選挙で民主党の躍進を許し敗北した橋本内閣に代わって登場した小渕内閣は、久々の自民党単独政権を樹立した。
しかしこうした政治状況は、小選挙区制が日本に2大政党制を築き得るものでもなく、またそもそもアメリカのような2大政党制が日本の選挙システムとして適当なものかどうかは疑わしい上に、早くも中選挙区制に一部戻そうという意見すらある。いずれにしても「小選挙区制はどの政党に政権を担当させるかを有権者が選択する選挙制度ではない。そうではなくて、有権者が望む政策を実行する政権をつくるために政党を利用し、必要なときには政権政党を交代させるための選挙制度なのである」 という側面を見逃せない。日本の政治システムにおいて国民の政治参加を保障するためにいかなる選挙制度が適しているかについては、とうてい本論文の扱いうるところではないにしても、小選挙区制が経済、産業構造の変化にともなう政党支持基盤に十分対応した制度とはいいがたいというところで留めておきたい。
いずれにしても無党派は選挙のたびに、制度の制約の中で意思表示をしつつある。いずれそれらが新たな政党や既存の政党に収斂されていくにしても小選挙区制度は、小政党を生みにくいという最大の欠点があり、新たな政党の誕生には不適当な制度であるといえる。
図表 6 戦後政党の主な流れ

資料:朝日新聞・知恵蔵、2000年から「21世紀を読み解く政治学」日本経済評論社
2.情報化社会と政治参加の方法
情報化社会の到来は、有権者が選挙という投票行動を通じた政治参加や、政党の政策形成や決定にどのような影響をもつだろうか。また選挙による投票行動のみが、政治への有効な参加の手段として今後も維持しつづけることができるだろうか。かつての地方選挙に散見した勝手連 のような新しい市民運動型の選挙が、果たしては情報化社会に有効な方法としてその影響を発揮できるだろうか。その後の市民運動型選挙の試みは、どこまで成功できているだろうか、などという点についてマクロ的に捉えてみたい。
この論文がとらえる高度情報化社会とは、すでに産業構造上の第3次産業化の進展した状態を指すのではなく、諸外国を含め明らかに政府などによる国家的施策としてのIT革命化が、プロパガンダされ始めた状態以後の情報化社会を指すこととする。したがってそこではすでに先行している産業、経済分野におけるIT化はもちろんのこと、行政官庁、政府外郭団体、地方公共団体など公的分野のIT化や電子政府化を含めたものである。またメディア、市民運動、環境保護運動、女性運動などの諸分野出で、コンピュータなどの情報機器を活用することで、政治システムや政治の状況の質的変化や量的変化に資する要因となるものを内在するシステムを総称する。つまりはインターネットの急速な普及で日々刻々変化する国際政治社会と国内政治社会から、われわれの日常生活のレベルに至るまでと、現在進行しつつある情報化によるさまざまな変化までを含めての社会も、ここでいう高度情報化社会の射程内である。
まず高度情報化社会による産業社会の質的変化を見てみたい。平成13年版労働経済白書は「今回の情報通信技術革新は、家庭や個人のライフスタイルにも影響を及ぼす等、全般的な広がりを持っている。労働面に着目すると、特に企業において事務部門への影響が大きい。これは従来の技術革新にはあまりみられなかった特徴であり、それにより、事務の生産性の向上が達成される。従来のOA化との相違は、ネットワーク化や業務支援アプリケーション等のめざましい発展により、情報の共有や活用が格段に進み、新たな経営手法を生み出し、従来では不可能であった業務遂行方法を可能にさせている点である。また、モバイル化の実現にみられるように、業務遂行における場所的制約からの解放が実現され、事業場外労働の可能性がより拡大している。さらに、この革新は企業間取引へも波及し、サプライチェーン・マネジメントなどにみられるような、企業間における高度な連携を可能にしている。この技術は、アプリケーションソフト化やネットワーク化により業務の標準化圧力となり、労働者に求められる能力も、従来の企業特殊的なものから、汎企業的なものへと変化させる可能性がある」 と分析している。
職務の組織、命令系統、勤務時間のフレックス化、正社員からパートタイマー化、派遣社員化、アウトソーシング化など、いずれも企業内で労働組合員を構成する組織労働者を減少させている。このように職場の高度情報化社会への移行による労働の質的変化は、就業構造や労働形態にさまざまな変化を及ぼしている。また1990年後半からは日本経済のデフレ傾向から、多くの企業はリストラに追われ、マイナスの要請からも企業のOA化、IT化は一層進んでいる。
〈図表7〉が示すようにすでに日本の経済社会において、労働組合の組織率や労働争議数は確実に減少傾向にある。第2次産業の製造業が活発な頃は、熟練労働者などを中心とするブルーカラーが大量の労働組合員であったが、製造業のOA化は労働の非熟練化と省力化を生み組合員を減少させた。また事務労働も単純作業はOA化され人から機械へ代わり、事務労働が増えているといっても、それはOAを駆使できる情報通信技術の活用能力を有する雇用が増えることである。また情報化に並行する形で、そうした情報通信の技術革新に対応できる能力を養成するための大学や専門学校への進学率はますます上昇し高学歴化社会を招いている。
図表 7 労働組合と労働争議

資料:「労働白書」および「労働統計要覧」から
「日本の100年・第4版」国勢社、97頁
そして〈図表8〉に示すように、情報化により今後求められる情報通信技術革新に伴う能力や知識をみても、労働の変化は「定型的な仕事」から「専門性の高い仕事」が増える傾向を示している。これらのことは政党の支持基盤を構成する有権者の層が、かつての地域社会、企業、労働組合といった固定的組織社会を基盤とするのでなく、広域的低、横断的、非組織的社会層が増加していることを意味している。無党派層の増加の背景にはこうした情報社会の高度化によるものである。
では果たしてこうした無党派層の政治参加を、日本の政党はどのよのうに収斂し、どのように政党基盤に取り込むことができるであろうか。現在の政党改革、政党再編の動向に、その萌芽を見出すことは可能であろうか、次の章で考察してみたい。
図表 8 情報化により今後求められる能力や知識

資料:厚生労働省「平成13年版.労働経済白書」117頁
第4章 選挙によらない政治参加の可能性
1.住民運動、住民投票による政治参加
選挙によらない政治参加の方法として、まず住民投票が上げられる。地方自治は民主主義の学校ともいわれ、有権者が身近な問題で政治に参加できる手段でもある。しかしまだまだ政策決定の手続きやシステムは確立されておらず、しばし自治体の首長と住民側で対立を生んでいる。住民運動では、政策決定の手続きどころか政策決定システムへの反映も不安定で、香川県の豊島産業廃棄物問題処理にみられるように、特定活動主体に依存するところが大きい。
住民運動は1960年代頃の急激な都市化にともなって、人口の過密化と食生活の変化、食料品の包装の増加などから、ゴミ焼却場の新たな設置は都市問題の重要課題になった。公共性のため必要なものとはいえ、焼却場が設置される地区住民にとっては迷惑施設である。しばしゴミ戦争といわれるほど、地方自治体の首長選挙や地方選挙の争点にもなり、選挙の結果次第では、その後の行政が大きく影響されることも珍しくなくなってきた。ここで最も影響を持つのが住民の反対運動で、一方それに対抗する形で賛成運動も活発になり、保守系対革新系の争点となり、市長や町長の席を巡って熾烈な選挙活動になることもある。ここではたいてい保守系が賛成派にまわり、公共事業という予算執行に伴う経済効果や地域振興を重視すること、事業によっては国などから補助金を引き出し地域に利益を誘導したり、都市計画事業の一環として迷惑施設のバータとして公民館や公園や公共施設の設置を補償するなど、有権者に十分アピールできる公約レベルになる。今日問題となっている族議員や利益誘導型の政治の原形である。一方反対派は、地域環境の悪化や、健康、公害、環境汚染などを損ないかねない施設として、設置反対がその地域に居住する住民にとっては切実な課題となる。反対派のメンバーはかっての革新系の労働団体に限らず、都市化に伴って流入してきた人々や、前章で見た無党派層といわれる人々や、場合によっては環境保護運動団体、市民活動グループなどが加わるケースも増加している。最近では、ゴミ焼却場からダイオキシンが発生する危険性などから、賛成派は苦しい立場に置かれつつある。
このような反対派の住民運動は場合によって、署名運動、勉強会、街頭アピールなどを活発に行い、選挙活動にも影響することが多くなってきている。1970年代から80年代頃の住民運動の目標は、「生活、居住、財産、営業権の侵害の排除、自然環境や地域生活環境の保全、健康安全の脅威の除去、文化財の保護、社会福祉・保健衛生・教育文化の充実などであった。これらの目標達成のために以下の方法がとられた。請願や陳情37%、デモ・集団交渉及び実力行使などによる行政への直接行動が18%、議員や有力者を通じて働きかけを行ったケースが17%、マスコミの利用や世論の喚起が14%であった」 と報告されている。
そもそも住民投票は憲法に保障された制度である国民投票のひとつで、地方議会の解散請求、議員、首長に対し解職請求するときの賛否投票が主であったが、最近では米軍基地の縮小、移転問題や原子力発電所の建設や産業廃棄物処理場の建設をめぐって、住民投票が行われるケースが増えつつある。法的には拘束力がないとはいうものの、住民投票の結果を無視して行政を進めることは難しくなってきている。また自治体によっては地方自治に住民の意思をダイレクトに反映させるために、住民投票を条例で制度化した自治体 も出てきた。
このように住民運動や住民投票などによるの政治参加は、全国の各自治体でも政策決定や選挙の争点としてこれからますます重要課題となり、選挙の争点や行政計画や行政行為を決定する上での主要因となるであろう。
2.市民運動、環境保護運動による政治参加
一方、市民運動では大都市から徐々に成果を上げ、政党や政治システムに及ぼす影響は直接、間接的にも増大しつつあり、情報化による今日のインターネットの発達が、また新たな政策形成のチャンネルとして機能し得る可能性がある。また重化学工業化がもたらした深刻な環境問題は今日のわれわれの生活どころか、これからの経済活動や社会生活のあり方にも影響する重要な課題である。環境問題においては開発か保護かをめぐって、しばし政党や政治家が代表する利益と住民の利害とが衝突する。とくに原発誘致に対する反対運動や産業廃棄物処理施設問題などでは、設置をめぐって行政庁の許認可がからみ、その対立は一層精鋭化している。ましてやダイオキシン問題など科学技術上の専門的な問題を含むとされる場合は、既成の政党や政治システムがまだ十分な対応ができていない。今後、科学技術上の問題、環境問題など技術的専門性に関連した問題が、これからの政策決定に与える影響はますます強まるであろう。
住民運動に比べ市民運動はより広範囲な一般的、社会的問題に対する、特定地域に限らずより広範囲な層からなる市民によって展開される運動で、都市化や工業化の進展とともに発生する社会問題、公害問題、消費者運動、差別問題、環境問題、自然保護運動など社会の発展とともにその対象はますます拡大しつつある。また市民運動は継続的かつ長期的な問題に対する場合が多く、市民団体や市民サークルを結成することも多く、労働組合が組織率の低下に悩むのと反対に増加の傾向をたどっている。市民団体の特徴は、かつての企業団体、商工団体、労働者団体、農業者団体などが経済的利益で結びついていたのに対し、非経済的利益によって結びついていることも注目されるべきである。市民運動の生まれる理由について、「市民団体は、環境汚染、都市の病理、人種的・階級的あつれきの激化など、最近の都市化に伴う諸問題の続発に直面して、経済的利益とはかならずしも直接的には結びつかない価値の実現を政治の場に持ち込むことを目的として台頭してきた」 とし、その背景を「公害、環境保護などを含む変動する都市で生起してきた新しい種類の政治的・社会的課題は、かならずしも伝統的な制度が適切に対処できるものでなかった。ここで政党や地方議会の機能障害が顕在化してきたのであり、いわゆる政党を乗り越えた、政党抜きの市民運動・住民運動が台頭してきた」 と分析している。このように住民運動や市民運動は全国のあちこちの自治体で、少なからず選挙や政策決定レベルで徐々に影響をもつようになってきている。
3.もう一つの方法による政治参加
――NPO、NGOによる政治参加
1995年1月の阪神・淡路大震災の後、政府や自治体の対応の一方で、多くのボランティア活動があった。いち早く支援の連絡があったのも海外のNGOだったりしたことも記憶に新しい。これを契機に国会でNPO法が成立するなど、民間のボランティア活動は政治や政策決定システムの中に参加できる一定のポジションを得た。今後こうした団体の活動が、これまでの政党政治を補う政治参加のあり方として、政治システムに及ぼす影響とその意義に注目してみたい。
民主主義のシステムによると、本来なら政党も行政機関も公のために公の立場から、基本人権の尊重、個人の尊厳、幸福追求権のためと、公共の福祉のための政治、行政を行うものであるはずが、工業化、都市化の進展後、政党政治はあまりにも業界の利益、企業の利益、既得権益、官僚組織の権益などに偏りすぎた。国民の税金を主な原資とするそうした政治的な利益の再配分に、いまや既存の政党は公平かつ効率的に十分その機能を果たし得ないでいる。そうした政党政治で十分には補えない分野に影響力を持つ運動体として、NGO、NPOの国民の政治参加に果たす役割はと機能はますます重要となる傾向にある。
とくに1990年代に入り情報社会化は国際的に進み、経済のグローバル化がまた新たな問題を、政治、経済、金融、社会、平和、人種、民族、ジェンダー、健康、環境、文化などさまざまな領域に生み出している。特に近年のコンピュータの開発におけるハード・ソフトの低廉化や通信技術の高速化、通信コストの低減化が、インターネットのような地球規模でのコンピュータネットワークの普及を促進することで、情報化、グローバル化は一層進行するであろう。
非政府組織(NGO=Non- Governmental Organization) の活動はこうした変化の中で、国際的分野ではすでに発展途上国で活発に活躍を行っているし、難民救済などでも多くの成果を関係政府にももたらしている。「NGO をNGOとして認定する場合、その基準は国や機関によってさまざまであるが、認定されないからNGOではないというにでは本末転倒、非政府組織たるゆえんを否定することにもなる。したがって、NGOの定義はおのずと理念的なところに収斂されることになる。すなわちNGOとは構成と社会正義を実現しようとする人々による、人々のための運動体である」 というようなNGOなどの出現により、かつて政党が「政府外に根を持つ組織、私的な組織でありながら最高度に公的な機能を演じる擬似政府組織でもある」 という役割を持っていながら、経済社会の変化と政治システムの変化の中で失ってきた政府外性、私的性を、これらのNGOやNPOは補っていくとができるであろう。
また、阪神・淡路大震災の復興を契機に、当時の自社さの与党3党はNPOプロジェクトチームを作り、その3年後の1998年3月には「特定非営利活動促進法」(NPO法=Nonprofit Organization)が成立した。NPO法の手引書というべき『知っておきたいNPO法』の中でNPOについて、「明治維新による近代国家創設以降のわが国の基本的な社会構造であった、官(政治部門)と民(民間営利部門)の2極構造を脱して、これに〈公〉というべき民間公益部門を加えた3局構造へと転換していくことは、現在のわが国が当面している諸問題を解決する手段等を多様かつ豊かにすることであり、日本社会が真の意味で成熟した〈市民社会〉へと発展していくための必須の条件であるといっても過言ではないでしょう」 と高らかにその理念を謳っている。
確かにこのNPO法の契機となった阪神・淡路大震災でわれわれが目の当たりにしたものは、95年1月17日の早朝、神戸という大都市を中心に突然襲った地震により、都市機能の維持や都市の安全性について、近代的都市における行政の役割や行政の能力の限界をいやというほど見せつけたられた、そのものだった。救急車が駆けつけるはずの道路は倒壊し、強固なはずの高層ビルや高速道路はいとも簡単に倒れ、水道、電気、ガス、通信のいわゆるライフラインはあちこちで途絶え、早朝とはいえまだ冬の都会の朝は一瞬にして寒空の中の真っ暗闇となった。テレビの映像は無残にも、今目の前で起こっていることを刻々と伝えた。地震のために壊れたガス管から吹き出るガスは、何かの拍子で発火し、最も不幸なのはせっかくの通電の再開が、漏電箇所からショートによる火花を発生させることとなり、その火花が漏れたガスに燃え移ったといわれ、やがて神戸の街は火の海となった。まず消防車や救急車はずたずたの道路で走る事すらできず、ところによって通れる道路も、避難したりまた親戚や知人を助けに行こうとする被災者たちのため至るところで渋滞し、消防車は火を消そうにも、また救急車はけが人を救助しに行こうにも動くに動けない。やっとの思いで現場に到着できた消防車も、今度はホースから水が出ない。どんどん延焼し何日も燃え続ける神戸の街をただ呆然と見ている消防士の姿は、いったい行政や政府は何のためにあるのかと、テレビを見た国民は思ったに違いない。
そしてそれとは対照的に市民の、多くの若者の自主的な自発的な行為によるボランティア活動には目を見張るものがあり、あるところでは行政とギクシャクしたり対立したりしながらも、神戸市や兵庫県の復興事業を彼らの活動なしには語れない。こうした図式がこれからの政治システムにおいてより明確に位置づけられ、市民が(有権者が)新たなチャンネルとして政治や、行政に政治参加できる回路が、NPOによる活動を通じて可能になったといえる。
〈図表9〉は平成13年9月末までに認証を受けた、特定非営利活動法人(4,966法人)の定款に記載された活動分野を、内閣府で集計したものである。その活動分野は様々ではあるが、現在の政党が充分に対応できない分野を多く含んでいる。
図表 9 特定非営利活動法人の活動分野について
2001年9月現在(複数回答)

資料:内閣府国民生活局のホームページより(2001年9月現在)
橘幸信「知っておきたいNPO」から
一方、今後少子・高齢化社会が一層進行し、国や自治体による社会保障制度の充実が早急かつ長期的にも重要な政治テーマであるところ、国やほとんどの自治体は財政難から、2000年にできた介護保険制度の施行を、実質的には民間事業者に委ねようというシステムになっている。また総務省の調べで、2002年2月現在で既に65歳以上の高齢者は、全人口の17.5%を超え、これを介護ビジネス市場と捉え、「行政主導から民間企業が参入するニュービジネスとしてIT、環境と並ぶ成長分野と位置づけられるようになった。市場規模は、介護保険の給付対象外となる周辺分野まで合わせると10兆円規模と言われている」 としている。しかし、国の社会保障制度として健康保険制度や年金制度がある中で、既存の制度によって国や自治体が中心となって少子・高齢化社会に備えようというよりも、民間企業や、民間事業者の参入による新たな市場を提供し、その活力で国の行うべき事業を補おうという側面がこの制度には見え隠れする。実は介護保険制度の法的制度はできたが、これからの事業の方向性や社会保障全体のシステムは未だ明確に見えてこない。こうした状況下で、NPOは社会保障事業や社会福祉事業の期待の星にされているが、これまでの日本の政治構造や政治文化の中ではまた新たなセクターとして、政官と癒着する恐れがないともいえない。こうした社会保障瀬戸の改革など国の重要政策が必要な時こそ、政党は長期的なビジョンを国民に示し、国民は政党の提供する政策を選択できることが、まず必要である。かつては先進工業国のどの国も福祉国家を目指していたはずが、果たして今日公共性のレベルの最も高い国の社会保障制度を、NPOなどの民間事業などに依存していてよいのであろうか。
NPOは今できたばかりで、これからの方向性と正と負の可能性はいまだ未知である。またNGOやNPOなどの非営利的活動が、この経済社会のシステムの中、どこまで維持していけるであろうか法律以前の経済的問題も克服しなければならない。また、その活動主体となるべき人たちが、どれだけ現れるであろうかも、景気低迷の中ではその見通しも難しい。
結局は、政治や、政党や、経済社会のシステムが変化する中で、NGOやNPOもそのあり方が変化するという相互の関係は確かであるにしても、選挙を通じた国民の政治参加に対し、もうひとつの政治参加としての役割は、確実にそのポジションを得つつあるといえよう。 最後にインターネットのさらなる発達を、NGOとNPOの活動に絡めて、国民における政治参加の可能性の一つに加えておきたい。日本の経済産業省は2001年通商白書の中で、NGOの活動を「冷戦崩壊に伴う情報統制の世界的な規制緩和が進むとともに近年における情報技術および国際メディアが発達したことを背景にして、各国の環境問題や貧困問題に関して世界的な関心が高まっている。同時にそのような問題に取り組む国際的なNGOの活動が活発になっている。特にインターネットの発達によって、NGOは情報発進力を強化するとともに世界的なネットワークを形成することができるようになり、ますます世界的な存在感を高めている」 と位置づけている。社会のさまざまな分野で、今後インターネットは情報化社会の高度化の有力な推進源として、こうしたNGO やNPOの普及を媒介する手段として国民の間に普及することとなろう。
民主主義的政治システムでは、国民の自由権のうち、言論、表現の自由は民主政治には欠くことのできない要素で、いま産業構造の急激な変化に政党や政党政治がその役割や機能を十分果たし得ない部分を、インターネットは国民と政党、政府を媒介する可能性を十分有することができる。すでにコンピュータを利用した国や自治体の電子政府の立上げは着々と進んでいる。また将来は自治体の選挙や国政レベルの選挙でも、電子投票が検討されている。
いま日本の政党は、こうした高度情報化社会に進行に対応すべき、企業や労働者の既得権を調整しながら、新たな政策を国民に提供することや、流動する支持基盤に対応した政党改革や再編を、住民運動、市民運動、NGO、NPOなどから発信される有権者の意思をも集約できるような政治システムを構築することが、早急の課題である。
注釈
1 経営団体連合会、日本経営者団体連合会、日本商工会議所、経済同友会の4団体。
2 1950年に結成された労働組合運動のナショナルセンター。社会党の有力な支持母体であったが、1988年に同盟などと連合を結成したことで解散した。
3 加茂利男ほか『現代政治学』有斐閣、1998年、114頁
4 小林良彰『現代日本の政治過程』東京大学出版会、1997年、116頁
5 小林良彰『現代日本の政治過程』東京大学出版会、1997年、116頁
6 松村岐夫・伊藤光利・辻中豊『日本の政治(第2版)』有斐閣、2001年、156頁
7 社会党、公明党、民社党、日本新党、社会民主連合、新生党、さきがけと民主改革連合。
8 1990年代のバブル経済崩壊後、日本経済の失速をこのようにメディアは称している。
9 川上和久・丸山直起・平野浩『21世紀を読み解く政治学』日本経済評論社、2000年、146頁
10 松村岐夫・伊藤光利・辻中豊『日本の政治(第2版)』有斐閣、2001年、158頁
11 川人貞史、吉野孝、平野浩、加藤淳子『現代の政党と政治』有斐閣、2001年、144頁
12 1983年の北海道知事選で、市民運動派の選挙運動協力として全国の注目を浴びる。
13 労働省編『平成13年版・労働経済白書』「情報通信技術の革新と雇用」70頁
14 浦島郁夫『政治参加』(現代政治学叢書6)東京大学出版会、1988年、82頁
15 96年の新潟県巻町(原発)、沖縄県(基地)など現在まで13の県市町で条例化されている。
16 内田満『現代のデモクラシー』(内田満政治学論集3)早稲田大学出版部、2000年、135頁
17 内田満『現代のデモクラシー』(内田満政治学論集3)早稲田大学出版部、2000年、171頁
18 若井晋、三好亜矢子、生江明、池住義憲『学び・未来・NGO』新評論、2001年、34頁
19 加茂利男、大西仁、石田徹ほか『現代政治学』有斐閣、1998年、115頁
20 橘幸信『知っておきたいNPO法』(改訂版)財務省印刷局、2001年、2頁
21 『イミダス2002』集英社、「経済・産業(ニュービジネス)」2002年、254頁
22 経済産業省『通商白書2001』(21世紀における対外経済政策の挑戦)、68頁